こんにちは!LINKです。
今回は、
ローラースケートダンスを始めた頃のエピソードを、ちょっと書いてみたいと思います。
僕は、ローラースケートダンスをしています。
間(あいだ)は、空いていますが、25年前にローラースケートダンスを始めました。
ローラーダンスを始めるその5年前、光GENJIさんをテレビで見て、近くのローラースケート場、愛知県一宮市国道22号(名岐バイパス)沿いに、かつてあった名岐ボウルの2階、「トニーワン」というローラースケート場に通うようになるのですが、最初は、滑るのがやっとでした。
滑ることは、できることはできたのです。
小学生の時、靴に、ひもで、結び付けるタイプのローラースケートで滑ったことがあって、自信はありました。
しかし、滑っている人のレベルは、そんなものではなかったのです。
そこで、ローラースケートの奥深さを知り、どんどん、ローラースケートにはまっていきます。
もっと上手に滑りたい。もっと上手に滑れるようになりたい。
そういう向上心が、次から次へと生まれてきます。
なにしろ、周りには、上手な人がたくさんいます。
一人で滑っていた時とは違い、ライバル心が生まれるというか?
張り合いがあって楽しかったです。
少しくらいうまくなっても、もっとうまい人はいっぱいいますから、なかなか、向上心は、満たされません。
それで、続けることになったように思います。
スケート場では、音楽がかかっているのも、斬新(ざんしん)でした。
当時はやりの曲が、洋楽、邦楽とわずかかっていました。
その昔は、車の通らない道路か、庭の狭いコンクリートで滑っていたので、音楽を聴きながら、ローラースケートで滑るのは、心地の良いものです。
5年も滑ったら、さすがに僕も、上手になってきました。
その頃です。
あるローラーダンスチームが、ローラーダンスパフォーマンスをしたのです。
それは、今まで、見たことがないローラーダンスパフォーマンスでした。
つまり、僕の知っている光GENJIさんのローラーダンスパフォーマンスとは、明らかに、違います。
その時は、それを見て終わったのです。
それから、しばらくすると、「ローラーダンスを一緒にしませんか?」
と、お誘いがあったのです。
「えっ!そんな、僕、踊れませんよ。」と、答えたわけですが、よく聞いてみると、今は踊れなくてもいい。
ローラーダンスを教えるから一緒にやろう。ということなのです。
「えっ!どんな踊り?」と聞けば、先日あったあるローラーダンスチームグッドスケートジャパン(GOOD SKATES JAPAN)のローラーダンスパフォーマンスのダンスだということです。
グッドスケートジャパン(GOOD SKATES JAPAN)とは何か?
キングオブローラーディスコのユキ・ヤストコさんが作ったローラースケートダンスチームです。
僕は、「あのローラーダンスをやるんだ。あのローラーダンスを踊るんだ。
あのローラーダンスを教えてくれるんだ。へ~。できるようになるかな~」と、人ごとのように思ったものです。
今では、宣伝部長のように、ヤストコさんにローラーダンスを踊ってますが、最初は、こんな風に始まったのでした。
それでは、
どうも、最後まで、読んでいただきまして、ありがとうございました。
また、よろしくお願いいたします。