こんにちは!LINKです。
今回は、
グッドスケートジャパン(GOOD SKATES JAPAN)入りたてのエピソードを、ちょっと書いてみたいと思います。
ローラースケートを始めた30年前は、ちょうど、ダブルという時代で、景気がよく、社会全体が浮かれていました。
光GENJIさんをテレビで見て、影響され、近くのローラースケート場、愛知県一宮市国道22号(名岐バイパス)沿いに、かつてあった名岐ボウルの2階、「トニーワン」というローラースケート場に通うようになるのですが、最初は、滑るのがやっとでした。
それから、5年も滑ったら、さすがに上手になってきました。
ある日、「トニーワン」で、グッドスケートジャパン(GOOD SKATES JAPAN)のローラーダンスパフォーマンスに出会います。
グッドスケートジャパン(GOOD SKATES JAPAN)とは何か?
キングオブローラーディスコのユキ・ヤストコさんが作ったローラースケートダンスチームです。
僕は、その頃、もっとローラーダンスが上手くなりたい。と思っていました。
なので、自信と不安の中、すぐにやることにしました。
自信とは、バックターン、エイトサークル、グレープバインという技、今でいうトリックができたのです。
グッドスケートジャパン(GOOD SKATES JAPAN)に、入る前からできました。
不安とは、先日のダンスパフォーマンスです。
あんなことできるのだろうか?
できるとしたら、かなり練習をしなちゃいけないな!くらいは、思いました。
できるとしたらです。
グッドスケートジャパン(GOOD SKATES JAPAN)に、入ってすぐです。
1ケ月後に、みんなの前で踊るから、その練習をするという話を、聞かされます。
「嘘だろ!」確かに、ダンスは教えてくれます。
しかし、あまりにも時間がありません。
僕は、プロのローラーダンサーじゃありません。
平日は、会社で仕事をしています。
週1日、日曜日、夕方6時から8時まで2時間、4週で8時間!
8時間の練習会で、人前でパフォーマンスする?
しかも、出し物は、4項目?
踊る曲3曲、と個人が得意なパフォーマンス。
「アロッタロコモーション」は、踊らなくて、後ろで手拍子なのはいいにしても、「ファンキーコールドメディーナ」は、覚えきれないので、後ろで、前の2人を見て、見よう見まねで踊り、ナンバーダンス、No.1~No.10も覚えて必死に踊りました。
いや~、いい経験でした。
その当時の映像を、友達のDAMAさんが持っていて、ダビングしたDVDをくれた時には、ホントに、びっくりしました。
みんなの前で、ローラーダンス発表会だ終わると、今度は、一宮の七夕祭りパレードで、ローラーダンスパフォーマンス!
今度もまた時間があまりありません。
最初から、むちゃくちゃだったから、そんなには驚かなくなっていました。
人間って、慣れると怖いですね。
ということで、今までやったナンバーダンス、No.1~No.5と波みたいなダンスをグッドスケートジャパンのメンバーでやることにし、DさんとEさんに急きょヘルプで出演してもらって、強行出場、なんとかその場を乗り切ることができました。
当時は、ハロウィンなんて言葉もない時代です。
なのに、真夏の炎天下の中、アスファルトの道路の上で、長袖のシャツにピエロの化粧をして、ローラーダンスをさせられるとは、入った時には、思いもしませんでした。
ローラーダンスって、こんな無理するものだって初めて知りました。
今は、ゆっくり練習ができるので、本当に幸せです。
それでは、
どうも、最後まで、読んでいただきまして、ありがとうございました。
また、よろしくお願いいたします。